京都の秋2014 2014.12.7 小 林 勝
妙法院門跡(みょうほういんもんぜき) 2014年12月1日
妙法院門跡は、天台宗の門跡寺院。
妙法院は、延暦年間(782-805)に最澄によって延暦寺三千坊の
一つとして草創されたのが始まりと言われています。
その後、転々としこの地に移ったのは元和元年(1615年)。
こちらも、散りもみじがすてきです。
土塀の瓦(かわら)に散り落ちたもみじが、いっそう深まりゆく秋を
感じさせてくれます。
門跡は、宇多天皇が仁和寺に出家して御門跡と称されたことから、
一般に皇族や身分の高い公卿等が住んだ寺院の呼び名となったが、
この妙法院の山門には「妙法院門跡」の標示があり、
また、境内を囲む土塀にも5本線が入り格式の高さを誇っています。
明治維新まで代々法親王が住持され、天明の大火の際は、
光格天皇の皇后が一時ここに行啓されるなど皇室との関係も深い。
文久3年(1863年)に尊攘(尊王攘夷/そんのうじょうい)派公卿の
中心人物・三条実美(さんじょうさねとみ)等 七卿が
長州藩と当院で密議を交したものの、会津・薩摩を中心とする
公武合体(こうぶがったい)派のクーデターにより、
ここから都落ちし長州に逃れたのが有名です。
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